黄昏時にはライトを点けて! 第六章ノ一

著:はちきよしみち

六ノ一 別れ

 魔女の館★喫茶・ミラージュにエコウが姿を見せなくなって一週間が過ぎようとしていたその日、ミス・ドラの占いを首を長くして待っていた二人組の若い女性がやってきた。
 二人は店に入ると先ず年甲斐もなく露出度の高い服装のオバサンに注文を訊かれ、真夏にもかかわらず無難にホットを注文すると、奥の屏風で仕切られた一角へと案内された。不安と好奇心が入り乱れる中、二人は恐る恐る屏風の扉を開いた。次の瞬間、闇が現れた。照明を落としたそこは、立ち入る者にまるで古井戸を覗いたときに感じるあの、井戸の底に吸い込まれるーっ! といった背筋がゾクッとする怖さを感じさせたのだ。


 二人は息を殺してその薄暗い闇溜りを覗き込んだ。暗闇に目が慣れたときそこにテーブルと椅子があるのに気づいた。二人は更に目を凝らした。するとテーブル越しにフードで顔を隠し、黒いマントで全身を覆った人物がぽつんと俯いた姿勢で席に就いているのが見えた。その異様な出で立ちに背筋が凍りついた二人は、それ以上一歩も中へ入ることができなかった。そして入口に立ち尽くしたまま互いに、
「あなたからどうぞ」
「いえ、わたくしは後でいいから、あなたこそお先にどうぞ」
 と相手を気遣うというよりも、自分の身を庇うような変な譲り合いがつづけられたのである。しかし、二人のそんなやりとりが二分くらいつづけられたときだろうか、
「お二人とも、せーの! でご一緒にお入りください」
 暗闇にしゃがれた男の声が微かに響いた。その声は地の底を這うように流れる湧き水が奏でる低いビブラートだった。二人は恐怖に狂わんばかりの精神状態で声に導かれるままに一歩を踏み入れた。
「せーのっ!」
「どうぞおかけください」
 恐怖で腰が抜けそうな二人の鼓膜を再び男のビブラートが衝いた。二人は逆らおうともせず指示されるままに席に就いた。
「では、お名前をお聞かせ願おうかな」
 二人が席に就くや否や、透かさずビブラートが問いかけてきた。鼓動が激しく打ちつけ、肩から首筋にかけて悪い霊に憑かれたような冷気が走る。完全に怯えきった二人は男の質問に声を震わせながら応えた。
「御三家ミタイと申します」
「大覚寺院乙姫と申します」
 二人は俯いたまま名前を告げると、瞼を固く閉ざして今現実に我が身に起こっているこの恐怖から逃れる術はないものかと知恵を絞るのであった。
「では、何からお話ししましょうかね?」
 ふいに甲高い男の声がすぐ間近でした。と同時に間接照明が眩しく灯された。甲高い男の声と闇を吹き払った輝きに、二人の緊張は氷が融けるようにほぐされていった。大きく息を吸い込み緩やかに呼吸を整える二人は、テーブルに彫られたある文字列に気づいた。それは「カリスマ占い師☆ミス・ドラゴンタイガー先生」とあった。二人は息を合わせて文字を目で追っていった。そして最後の 」 まで辿り着いたとき、続けて小さくマジックで「の一番弟子。千の顔を持つ占い師☆ミル・ドラゴンタイガーマスク」と書き足されているのにハッとした。二人は互いに見つめ合って、「こ、これって、どういうことかしら?」とテレパシーを交わすと目の前に座っている男の方に目をやったのである。次の瞬間、二人の目には鹿の角が頭にくっついた虎縞模様のワニの着ぐるみみたいな覆面を被った怪しい男が映し出されたのである。
 二人の視線は無言のまま男の奇妙な覆面に注がれていた。その姿は傍から見れば、まるで二人は神秘との遭遇で恍惚感を味わっているかのように見えた。が、実際は「何だ、このオヤジ?」程度でしかなかった。目が点になった二人に謎の覆面男はフランクに話しかけてきた。
「御来店、誠に有り難うございます! で、ここくんの初めて?」
「ええ」
 御三家ミタイが慎ましく返事を返した。すると覆面男は納得した様子で首をゆっくり縦に二、三回振った。二人には覆面が邪魔して男がどんな表情をしているのかわからないでいた。
「いやー、あなた方お二人はついてますねー! というのもね、今なら、【燃えよ! ミス・ドラゴンタイガー】と【ミス・ドラゴンタイガーへの道】が二本立てでご視聴できるんですよ。こんな大特価特別サービスは多分もうこの先ないんじゃないかなぁ……? で、如何いたしましょう?」
「へ?」
「ノーマルコースでいいかな?」
「ノーマル、ですか?」
 大覚寺院乙姫が首を傾げて訊き返した。
「ええ、今ご紹介したのはノーマルコースです。実はですね、別にスペシャルコースがございましてね。これは本当にお勧めですよ!」
 二人は覆面男の勧めるコースに若干の興味を持った。
「スペシャルってどうなんだろうね?」
 御三家ミタイが大覚寺院乙姫の耳元でこっそり訊ねた。
「スペシャルっていうくらいだから、スペシャルなんじゃないかしら?」
「そうよね。スペシャルっていうくらいだもんね」
「でもさー、ノーマルコースの【燃えよ! ミス・ドラゴンタイガー】と【ミス・ドラゴンタイガーへの道】って何だろうね? 占いの種類なのかしら?」
 小声で問い掛ける大覚寺院乙姫の疑問に、聞き耳立てていた覆面男が即座に反応を示した。
「あのーですね、私の口からこういうことをいってはならんのでしょうが、ノーマルコースはあんまり面白くありませんよ」
「え! そうなんですか」
 覆面男は大覚寺院乙姫の疑問とは全然関係のない回答を返した。なのに大覚寺院乙姫もまた素直に驚いて見せるのであった。
「やっぱスペシャルコースがお勧めだよね。何といってもスペシャルだもん。簡単に説明させて頂きますと、二つあってね。私と先生の運命的な出逢いを綴った【魔女の館★喫茶・ミラージュ。その成功と野望!】。それと、若き日の先生が某首相と共に国家の存亡をかけて悪のテロ組織、匿名希望・秘密結社との死闘を吟遊詩人タッチでコミカルに語る【遂に明かされた! 消えた徳川家家百万両伝説の謎! (君は生き延びることができるか!)】のこの二種類があるわけよ」
 覆面男の甲高い声が更に高揚してツー・オクターブほど跳ね上がった。
「あのー、それって勿論占いですよねー?」
 覆面男が自分の話に酔いしれる姿に先程思い立った疑問を思い出した大覚寺院乙姫が訊ねた。
「ええ。最初に説明させて頂きましたように、これらの話、いや、私の語るこれらの物語にはヒーリング効果が認められておりましてね。先日みえられた一流大学の先生も、あんた、好い声してるねってそうおっしゃられましたよ。。
 私の美声にみなさん癒されるんですよ……。お客さんの傷ついた心が、私の美声で蘇生するんでしょうね」
 覆面男は一言一句噛み締めるように慎重に語った。
「あのー、……そんなことおっしゃいましたっけ?」
 覆面男の語りに不審を抱いた御三家ミタイが控えめに問いただした。
「ええ、私のこの人並外れたテレパシーでね! 確かに感じられたはずですよ!」
 覆面男は顔の表情で相手に気持ちを伝えられないぶん、声に強弱の変化をつけて御三家ミタイに応えた。それに気圧された御三家は、
「そ、そうでした。確かさっきなんとなーくそんな話が頭の中を駆け抜けたように思います」
「私のテレパシーはね、携帯電話の電波の届く域を遥かにしのぎ、今では軍事衛生レベルにまで達しております。アハハハハ。時々お客さんのように私のテレパシーを、あらっ、キャッチできたのかしら? なーんてふと疑問に思われる方もおられますが、あまり深く問い詰めないのが肝要ですよ。でもね、そう思われても仕方ないかもしれません。というのも私のテレパシーは今も申し上げましたように軍事衛生レベルですからね。相手に気づかれないことも多々あるんですよ。ハハハハハ」
「あ、なーんだ、そうだったのかー。フウー」
 覆面男の弁解にしか聞こえないコメントに、覆面男と御三家ミタイの二人のやりとりを訝しげな表情で見つめていた大覚寺院乙姫も、ようやく納得の表情を見せて大きな溜め息を吐いた。
「ところで他にエグゼクティブコースというのもありまして、これはノーマルコースとスペシャルコースをミックスした内容に、更にサービスして期間限定の特別メニューがプラスされております」
「ええっ!」
 二人はテレビのお茶の間ショッピングで商品の値段が司会者と売り子から紹介されたときに、必ず効果音として利用される反復練習済みのエキストラのオバチャンの仰々しい驚きの声さながらに驚嘆の声を上げた。
「おーっと! 驚かれるのはもうちょっと私の説明を聞いてからにして頂きたかったですねー。ハハハ」
 覆面男は得意気に不敵な笑い声を上げた。
「エグゼクティブコースにプラスされる特別メニューとは、ずばり! プライベートの普段の先生の私生活を垣間見ることができる【黄昏時にはライトを点けて!】でございます。さあ、お客さん! 如何いたしましょう? お好みのコースを選んで構いませんが、でもお客さんがご指定されない場合は自動的に今の私の気分でスペシャルコースの中でも特にバージョンアップした【魔女の館★喫茶・ミラージュ。その成功と野望!】をメイキングを含むディレクターズカットでお話しすることになります。さて、どうなされます? あ、ちなみに地上波初公開です」
 二人は覆面男のなすがままに耳を傾けていた。そして、迷った挙げ句にようやく大覚寺院乙姫がメニューを選んだとき、テーブルには先刻注文したホットが五月に給しされていた。
「どうしよっかなぁ……。じゃーあ、【黄昏時にはライトを点けて!】を聞いてみたいからエグゼクティブコースで」

 魔女の館★喫茶・ミラージュで鳳が五月にアメ横で買ってもらった覆面を被って、御三家ミタイと大覚寺院乙姫を相手にしている頃、エコウは四国の東海岸を左手に海を臨みながら南下していた。彼女が東京から姿を消したのは、鳳が妻である五月の化粧が最近派手になった真相を解き明かしてもらおうと彼女に縋りついた翌日のことだった。当然、鳳はエコウが理由も告げず店に現れなくなったのは自分が無理をいったせいで彼女の逆鱗に触れてしまったと思い込んでいた。店に現れないエコウに鳳は何もいえない立場だった。というのもよくよく考えてみれば、彼女は鳳に雇われているわけではなく、鳳もエコウに頼まれて場所を貸しているわけではなかったからだ。てゆーか、逆に鳳が彼女に頼んで店で占いをしてもらっていたくらいなのだから。
 鳳が覆面占い師としてエコウの代わりを勤めるようになったのは、彼女がいないことも知らずにやってくるクライアントたちをがっかりさせないためだった。彼自身、エコウの代わりを勤めることに最初は強い戸惑いを覚えた。しかし、そんな彼を妻の五月は傍で励ましつづけた。
「聞くがよい! 竜虎! うぬは虎! そして真のドラゴンじゃ! うぬならばできよう! うむうむ。余には見えておるぞよ。うぬが牙を剥いて荒れ狂う虎に跨がり、稲妻のごとく空を駆け巡るドラゴンの尾鰭を鷲掴んで振り回しておる姿がのぉ……。ええい、行くがよい! そして師の一番弟子である証を世に知らしめすのじゃ! うぬのその勇姿は店に集う者の口を借りて、その他大勢の者の心を癒すであろう! これは太古の神話の時代より決められていたこと。何を迷っておる。時代がうぬを求めたのじゃ。これはうぬの宿命。これこそが生涯追い求めてきたうぬの使命なのじゃ! メイビー! さぁ、このM・D・T・Mを装着して、階下に広がる迷える者の巣窟、魔女の館★喫茶・ミラージュに舞い降りるがよい!」
 五月のこの言葉に後押しされて、鳳はマスクを着けた。そしてその瞬間から鳳竜虎改め「カリスマ占い師☆ミス・ドラゴンタイガー先生の一番弟子。千の顔を持つ占い師☆ミル・ドラゴンタイガーマスク」と名乗るようになったのである。このリングネームのような鳳の芸名は、五月からマスクを授かったときに一緒にもらったものだった。ゴッドファーザーとなった五月は、「カリスマ占い師☆ミス・ドラゴンタイガー先生の一番弟子。千の顔を持つ占い師☆ミル・ドラゴンタイガーマスク」と長ったらしい正式名称をいうのが面倒臭かったので、アルファベットの頭文字をチョイスして以後彼をM・D・T・Mと呼んだ。

 羽田発四国方面行きの飛行機に乗ったときには、エコウは完全に鳳夫婦を記憶から抹消していた。彼女は占いをはじめて以来初めてのバカンスに、自分自身に向き合ってみようと思ったのだ。彼女の衝動的ともいえるこの行動は単なる思いつき以外にこれといった理由はなかった。間違っても世界的に超有名な知る人ぞ知るイギリスのカリスマ占い師♀ミセス・スネークライオンから迷惑メールをもらって身の危険を危惧してとんずらしたわけではなかった。
 ミセス・スネークライオンからメールをもらった翌日も、彼女は普段と変らない清々しい朝を迎えることができた。彼女は寝惚け眼を擦りながら、その頃にはもう習慣となっていた天気予報をせるふ画面で観た。いつものエコウなら自分が住んでいる地域の天気を見て終わりだったのに、その日はなぜか他の地域も見てみたいと思った。そこでボーッと見ていたら、たまたま四国方面が快晴で洗濯物もアッという間に乾くとあったので行ってみたい気が起こったのだ。彼女はうんざりだった。このところ東京の夏の風物となったヒートアイランド現象が。大学の夏休みはまだ半分くらい残っていた。その年も雨が降りつづき東京の夏は暦上にのみ存在し、九月になろうというのに梅雨のロスタイムの終了を告げるホイッスルが鳴らされることはなかった。
 四国方面の天気を見ているとき、まだ眠りから完全に目覚めていなかったエコウが例の迷惑メールに[ウイルス注意!]の追伸があったことを思い出すはずがなかった。それを思い出したのは、飛行機でたまたま隣に居合わせたおばさんと四国に行ってからの展望を語り合っていたときだった。エコウはこの色鮮やかなトロピカル柄のムームーを着込んだ恐らく六四、五のおばさんを奥さんと呼び、奥さんはエコウをあなたと呼んだ。
 機内で奥さんはエコウに親しげに話しかけてきた。
「あら、仏滅女学院といえば名門中の名門じゃない」
 奥さんはそういうとエコウをまじまじと見つめ再び口を開いた。
「やっぱりお嬢様学校に通う学生さんは田舎育ちの貧乏学生とは一味違うわよねぇ。あなたの周りには気品という名のオーラが漂ってるもの。ほら見て、掴めそうよ」
 奥さんはエコウの周囲を取り巻く空気を左右のジャブで素早く掴み取るジェスチャーをしてみせた。
「それにどうでしょう。あなたのその名門の名に恥じない端整な容姿ときたら。ミス・ユニバース日本の準ミスクラスの特上だわ!」
「じゅ、準ミスかよ」
 準と聞いて些かいい気がしなかったエコウは露骨に嫌な顔で呟いた。
「あーら、勘違いしないで。私は褒めてるのよ。よく考えてもみなさいな。ミス・ユニバース日本の栄えある栄冠を勝ち獲った優勝者と準の容姿の差を。誰がどの角度から見ても準ミスの方が数段美しいでしょ。どんなミス・コンでもいえることなんだけどー、絶対に準に選ばれた娘の方が綺麗なの! なぜだかわかる? それはね、ミス・コンってのはある程度のハンデを応募者に与えてるわけ。外面の美しさだけでなく、知性と心の美しさを求めるとか何とかいっちゃってね。はっきりいってそんなもんどーだっていいと思わない? でも、そうとでもいっとかないと応募者がこないのよ。ほら、あなたクラスの特上ならコンテストに出なくても、そこらじゅうでちやほや持てはやされるでしょ。コンテストに応募する人はある意味ハングリー精神に飢えたアマチュア・ボクサーなの」
 心地よく自信満々に持論を力説する奥さんを、半ば呆然とエコウは眺めていた。しかし、先ほどのような不快感は不思議となかった。
「ところで四国へは帰省かしら?」
「いいえ、ただの旅行ですわ。生まれて初めての一人旅ですの」
 突然話題転換を図った奥さんに戸惑いながらエコウはにわかに応えた。
「あら、もしかするとセンチメンタル・ジャーニー?」
 知的好奇心剥き出しのにやけた顔が余計におばさんのいやらしさを演出している。
「あ、ぜーんぜん、そんなヘビーなもんじゃなくて、四国が天気好さそうだったからついふらーっとですわ」
 あっけなくそう返したエコウに奥さんは一瞬詰まらなそうな表情になった。
「ご予定は一泊二日くらい?」
「あ、全然考えてなかった」
 そのときになって初めてその日寝泊りするホテルを予約していなかったことに気づいた。
「あら、あなた見かけによらず随分無鉄砲なのね。ホホホホホ」
「いざとなれば野宿しますんで問題ございませんわ」
「まー、若い女性が野宿だなんて危険よ」
「平気ですわ。わたくし以前ラテン・アメリカに住んでいたことがありますもの」
「あ、御父様のお仕事のご関係ね?」
「ええ」
「仏滅女学院ですものねぇ……。御父様は大使かしら? それとも貿易商か何か?」
「父は環境開発のエンジニヤですわ」
 エコウの脳裏には柄杓を手に亀之助が牛糞を田畑に撒く光景が映し出されていた。
「あーら、素敵じゃない……。で、続きつづき!」
 奥さんは瞳を輝かし、羨望の眼差しでエコウを見つめた。
「父のお供でアマゾンの奥地に踏み入り、原始的な毎日を過ごしておりましたの」
「ロマンチックねぇ……」
 奥さんの瞳に星が輝いた。
「文明の意味を知らない秘境。わたくしたち親子は野宿を余儀なくされましたわ。なので文明開化を百年以上も前にクリアした日本なんて、動物園の折の中と変らないジャングルで生き抜いてきたわたくしには屁っ、みたいなものなですのよ。ウォー、ホッホッ」
 奥さんはエコウの語りにかつて少女の頃妄想に描いた冒険旅行を蘇らせていた。
「素敵ねぇ! まさか上空三千フィートでこんなお話が聞けるとは思いもしなかったわ。こうしてこんな形でお知り合いになれたのも何かの縁ね。もし宜しければ私とご一緒に廻らないかしら?」
 回らない? エコウには奥さんが締め括った語尾の意味がわからなかった。
「ええ、わたくしは一向にかまいませんわよ。でも、……無知なわたくしは奥さんの足手まといにならないかしら?」
「ノー・プロブレム! 実は私も一人で廻るの不安だったのよね。だから一緒だととても心強いわ」
 回る? エコウは尚も自然な流れでいいのけられたこの言葉が気になってならなかった。
「あの、奥さん、さっきから回る回るっておっしゃいますけど、同行すればわたくしも回転しなければなりませんの? わたくし、実家の躾が半端じゃなく厳しかったもので、帰国子女のお嬢様のくせにクラシックバレーを習いにロシア留学した経験は一度も御座いませんことよ」
 とりあえず問いただしてみた。
「あら、やだ。あなたがクルクル回転すんじゃないわよ。もぉ世間知らずのお嬢様なんだからっ! ご心配なく! 大船に乗ったつもりで私についてらっしゃい! 御両親が心配されるといけないから、着陸したらメールしとくとよくってよ」
「メールねぇ……、あっ、メールといえば昨日変なメールもらったんだったわ。とりあえずアドレス変えとこぉっと」
 そう呟くとエコウは耳元でうるさい奥さんをちょっとシカトして、せるふを起動させた。せるふを開くとエコウは即座にメールアドレスを変更し、ついでに自分自身のページを開いて未来に面倒なことは絶対に起こらないと注意書きを付け加えた。そして、迷惑メールを送りつけてきた世界的に超有名な知る人ぞ知るイギリスのカリスマ占い師♀ミセス・スネークライオンのページを開いて、データを目茶苦茶に荒らして二度とせるふを起動させられないようにしてやったのだ。

 エコウにとって奥さんとのこの出逢いもまた宿命だったのかもしれない。
 羽田を発った飛行機が舞い降りたのは徳島空港だった。そこでエコウは初めて奥さんが四国に渡った真の理由を知ることになる。奥さんは空港のロビーの人気のないシートを見つけると、夢遊病者のように駆け出した。エコウは何事かと驚きながら後を追った。奥さんはシートに大きなリュックを降ろすと透かさずチャックに手をかけた。そして中から白い衣装を取り出し、着ていたムームーの上から纏いはじめた。戸惑いを見せるエコウを余所に、奥さんは何かに取り憑かれたように一心不乱に衣装を身に着けていった。そして、「あ、ごめんなさーい。待たせちゃったわね」といって素に戻った奥さんの背中には「南無大師遍照金剛」と「同行二人」の文字がプリントされていた。
「ゲッ! それってまさか……」
 驚きを隠せないエコウはそれ以上声を発せられなかった。
「あら? いわなかったかしら。見てのとおりお遍路さんよ。私、巡礼者なの。とはいえキリスト教の巡礼者とは比較にならないくらいダサイけどね。仕方ないわよ、だって、日本は昔から侘び寂びとかいうわけわかんない精神が浸透してて、地味でなきゃご近所で陰口叩かれる国でしょ。だからこのくらいダサくないと一般受けしないのよね。この格好はまだ完全体ではないの。帽子と杖、それと首から垂らす輪袈裟がないと雰囲気でないわ。それは道中で揃えるつもりなの」
 エコウは奥さんの話を最後まで聞ける状態ではなかった。不安に胸の内が音を立てて震えだしていた。て、ことはあたしもそのコスチュームに……。
「あーらいやだ。て、ことはあたしもそのコスチュームに……って顔に書いてあるわよ。心配ないわ。あなたはコスプレしなくてもいいの。てゆーか、あなたのようなスーパーモデル顔にこんなダサイのは似合わないでしょ」
 あー、よかったぁ! エコウは大きく肩を落とし、ホッと胸を撫で下ろした。
「少し歩くけど、……脚には自信あるかしら?」
「ええ。高校の頃は陸上部でしたから」
「あら、それはよかった。じゃ出発するわね。目指すは一番札所よ!」
 そういうと奥さんはリュックを背負って自動ドアをすり抜けていった。気ままな奥さんの後姿を見つめてエコウはふと思った。少し歩くだけなのに、間を置いて脚には自信あるって訊いたのは何で?

 エコウが奥さんと共に西国の島で巡礼者として身に降りかかる煩悩と格闘している頃、東京ではとんでもないことが起こっていた。

 ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
「先生! 先生! 世界的に超有名なカリスマ占い師☆ミス・ドラゴンタイガー先生はおられますかっ!」
 とご近所の方々がとっくに寝静まった深夜に、魔女の館★喫茶・ミラージュの木製の特注の大きなドアを激しくノックする男がいた。
 ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
「先生! どうかこの分厚いドアをお開けください! わたくし、つい先日、先生と共に仲良く手を取り合って悪のテロ組織・秘密結社と戦った戦友の内閣総理大臣こと徳川家康でございます! ご自宅にはおられなかったご様子なのでこちらに参らせていただきました!」
 ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
「先生! 一大事でござるー!」
 徳川家の辞書に近所迷惑という文字はない。
 ガラガラガラーッ!
「うるせー、この酔っぱらい!」
 魔女の館★喫茶・ミラージュの向かいの焼鳥屋のオヤジが、二階の窓を全開にして怒鳴り声を上げた。が、徳川家はその抵抗勢力にたじろぎはしなかった。
「この天下の一大事に昼も夜も関係あるかい! ええい、こちとら何年政治家やってると思ってやがんで! 焼鳥屋のオヤジの苦情に怯む内閣総理大臣だと思ったら大間違ぇだ! おめぇの脱税はすべてお見通しだ! チクられる前に黙って寝やがれ! 一昨日きなっ!」
 そう怒鳴り返すと、焼鳥屋のオヤジは意気消沈して開いたドアを閉めた。
 難なく雑魚を振り払った徳川家は、尚も魔女の館★喫茶・ミラージュのドアをノックしつづけた。しかし、その重く無機質なドアはボコボコに拳の跡を残して凹んだだけで、中から開けられることはなかった。が、徳川家が諦めてもう帰ろうとしたまさにそのときである。ようやく木製の特注の大きなドアに、大人が一人通れるくらいの大きな穴が開いたのだ。
 徳川家は小声で「失礼しまーす」と断りをいうと、魔女の館★喫茶・ミラージュの店内に足音を忍ばせて入っていった。店の中には従業員らしき人影は見えなかった。勿論、エコウの姿も見つけることはできなかった。そこで徳川家は二階に住む鳳の部屋へと階段を上って行った。徳川家は鳳の自室のドアの前に立つと、大きく深呼吸を数回してから呼び鈴を烈火のごとく連打した。その瞬間から鳳の家族が目覚めるまで五分とかからなかった。
 徳川家が呼び鈴を連打して四分五九秒後には、彼は頭にカーラーを大仏のように巻き付けた、ピンクの透け透けのネグリジェ姿のオバサンにその日わざわざやってきた理由を話していたのである。寝ぼけ顔のオバサンは夜中に叩き起こした、このテレビで観た覚えのあるオヤジの寝ぼけた話をかい摘んで聞き、一度ドアを閉めて部屋の奥へと姿を消した。
 徳川家が腫れて所々血が滲む右手を見つめながら待つこと一分。再びドアが開いた。ふと見ると、着ぐるみを被ったパジャマ姿の怪しい男が若干よろめきながら突っ立っていた。その男は徳川家と目が合うなり、
「話は彼女から聞きました。残念ながら生憎、師はパワーを充電されるために、二時の方向にある銀河系の隣の星まで買いだしに出られており、今留守にしておられます。よって留守の師に代わって私がお話をお聞きいたしましょう!」
 男はかなり寝ぼけているらしく、今し方観ていた夢の光景とエコウを合体させて何やらいったのだ。徳川家は聞き覚えのある声に不審を抱きつつも「あんた、誰?」と訊ねた。すると、その男は
「アハハハハ。これは失礼。申し遅れました。私、カリスマ占い師☆ミス・ドラゴンタイガー先生の一番弟子。千の顔を持つ占い師☆ミル・ドラゴンタイガーマスクと申します。お目にかかれて光栄です! 徳川家首相!」
 といって握手を求めて徳川家の腫れ上がった右手を強く握った。次の瞬間、
 ギィヤァーッ!
 辺り一帯に雷鳴の轟きような悲痛に震えるオヤジの悲鳴が響き渡った。その瞬間、徳川家の意識は完全にショートした。彼は己の悲鳴が鳴り止む少し前に既に気を失って、その場に崩れ落ちた。
 彼の意識は異次元をさまよっていた。そこで彼は奇怪な光景を目の当たりにした。あまりにも非現実的且つ神秘的な光景を彼は語らずにはいられなかった。
「こ、ここは、もしや天国。多忙のあまり私の命の灯火は遂に消え失せたようだ。……まーそれもよかろう。これも運命のなせる業。素直に従おうではないか。それにしても奇妙ではないか……? 私の前に現れたこの方は神なのか? 獣の顔を持つ人間がこの世にいるはずがない。おそらくこの方は西側諸国が奉る神であろう。私には神の他に大仏まで見ることができる。どうやら洋の東西の神仏が我の死を悼んで天界への導き手として参られたに違いあるまい」
 すると大仏が獣頭の神の耳元で何やら囁くのが微かに聞こえた。
「ねぇねぇ、この人、打ち所悪かったんじゃない? 救急車、呼んだ方がよくないかい?」
 大仏は想像とは裏腹におばさんのような声質だった。
「なーに救急車を呼ぶまでもないさ。彼はね、私たちの神秘に満ちた真の姿を見て、ただ驚きのあまり現実と幻覚の区別がつかないでいるだけなんだ。彼は今恍惚感に肉体の自由を奪われているんだよ。彼の意識は今まさに覚醒しようとしているのさ。我々の境地に達しようと光速で進化しているんだよ。彼にも悟りの扉は開かれようとしているんだ。何も心配ない。君も感じるだろ? 彼の意識が我々の次元に迫りくるのが」
 獣頭の神は声からして雄だった。
「何バカなこといってんのさ! 夜中なんだから用があるなら明日にしてもらいな!」
 そういい残して大仏はフッと姿を消した。
 仏とは慈悲深いものだとそう信じて疑わなかった。しかし、実物の仏はそのイメージとは裏腹に意外なほど短気で思いやりの心に欠けていた。それを目の当たりにした徳川家は今まで己が構築した仏のイメージが音を立てて崩れていくのがとても悲しかった。しかし、神に言い聞かせる仏の言葉にはどこか温かみが感じられた。
 徳川家は神と仏の会話をつぶさに聞いていた。彼は思った。やはりそうだったか。かつて仏は神にもその法を説いて聞かせたと聞くが、その言葉に間違いはなかったようだ。そう納得したのも束の間、身体に激しい揺さぶりが起きた。
「あ、あのー、総理! いい加減ファンタジーの世界から帰ってきてもらえませんか!」
 その瞬間、覚醒して幽体離脱を楽しむ徳川家の意識は彼の肉体に戻った。ふと肉眼を通して見ると超至近距離に青と白のストライプのパジャマを着て、鹿の角が頭にくっついた虎縞模様のワニの着ぐるみみたいな覆面姿の男がいる。おやっ? と思いながら彼は記憶を遡った。獣頭の神、あれはもしや、コイツ……? そう思ったとき覆面が篭もった声を発した。
「総理! こんなとこで眠っちゃいけません。風邪ひきますよ。夏風邪がしぶといのはあなたもご存知のはず。もし夏風邪をこじらせて末期癌にでもなればどうするのです。下手をすると二度と先生にお目にかかれない世界へ旅立つことになりますよ」
「おーっと! そうであった!」
 覆面の篭もった声に徳川家はようやく完全に目が覚めた。
「しかし、ただ者ではないと常日頃から思っておりましたが、先生は実は宇宙人、地球人ではなかったということですな! なるほど、ならば先生のあの地球人には真似できないお力も納得できるというものです。ところで、鳳さん! 先生はいつお帰りになられるご予定です?」
 と徳川家は何やら納得したついでに訊ねた。すると男は即座に、
「おやおや、総理ともあろうお方が何をおっしゃるのです。私は鳳ではなく、千の顔を持つ占い師☆ミル・ドラゴンタイガーマスクですよ。マスクマンの私と徳川家首相のお知り合いのその鳳というハンサムな青年実業家とお間違えになられては困りますなー。ハハハハハ!」
 と声を引きつらせながら返してきたのである。
「……。あ、失礼。先生はいつお帰りになられるのです! おーとり、いや、マスクマン!」
 徳川家が訪問した理由を話し終わったときには、新聞配達のバイクの音が聞こえる時刻になっていた。一通り徳川家から話を聞いたマスクマンは、今まさに自分の真価が問われるときがきたと確信し、武者震いで全身の体毛を逆立てるのであった。
「わかりました! 先生がお留守の今、悪のテロ組織・秘密結社の嫌がらせからこの日本を防ぐことができるのは、この私、千の顔を持つ占い師☆ミル・ドラゴンタイガーマスクをおいて他にないでしょう! 徳川家首相! あなたが私を頼ってこられたのは正解でしたよ!」
 マスクマンは徳川家に力強く握手をしようと右手を掴もうとした。しかし、徳川家は前の教訓を活かし、サッと左手を前に差し出して、さり気なく右手をお尻のポケットにしまい込んだ。
「では、お引き受け頂けますな! マスクマン!」
「ええ! では早速参りましょう! あ、その前に今後は私をマスクマンではなく、千の顔を持つ占い師☆ミル・ドラゴンタイガーマスクとお呼びください。でも、もし長すぎてウゼェと思われるのであればM・D・T・Mと呼んで頂いても結構です。これは現在先ほどのファーストレディーにのみ許された呼び方ですが、総理のあなたからもそう呼ばれてもいいかなぁって……」
「では、わたくしも許されるのであればそう呼ばせて頂きましょう! よろしいかな、M・D・T・M!」
「勿論ですとも! では急ぎましょう!」
 そういうと、M・D・T・Mは大急ぎで余所行き用のスーツに着替えると、徳川家と共に魔女の館★喫茶・ミラージュを去って行った。

  1. 2008/08/25(月) 10:24:25|
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